真田丸の時代から続く洗脳教育 × 人生のロールモデルを変えよう!

どうも、こんばんは。
ノジーです。

Skype用のヘッドセットが故障したので、
先日は近くの家電量販店に行ってきたのですが、
大規模なアウトレットセールをやっていて、
かなり良い物が驚きの値段で売られていました。

結局、僕はヘッドセットとBluetoothスピーカーを買ったんですが
店を出て駐車場に行くと何やら怪しげな人だかりが…。

気になったので不自然にならないレベルで
近づいてみて話をこっそりと聞いてみると…。

どうやら『せどりツアー』の集団らしき感じ。

せどり系の情報発信をしている知人も多いので
そういうツアー的な行事の存在は知っていたのですが
『これが噂のアレか!』と嬉しい気持ちになりました(笑)

今回、故障して買い換えることになったヘッドセットは
僕がネットビジネスを始めたばかりの頃に買ったものです。

『本当にこれ稼げるようになるのかよ』という
言葉を飲みこみながら先の見えない道を必死で進んでいた時も
月収1000万円を突破して緊張感と高揚感に包まれていた時も
ずっと僕のビジネスを支え続けてくれた戦友です。

『ありがとう』という気持ちを込めて
そっと廃棄処分をしました。

これからは次の相棒とともに
更に成長しつつ多くのクライアントさんを
自由へと導いていきたいと思います。

さて、既に勘の良い人たちは気づいているんですが、
世の中の大半は他人が定めた尺度で人生を生きています。

自分じゃない誰かが決めたルールに基づき行動し、
誰かに仕掛けられた本当は必要じゃないモノを購入し
誰かが決めた人生のモデルケースを自分の夢だと錯覚している。

もちろん当人としては自分で全てを選択しているつもりですが、
実際には他人の決めた理想的な人生の送り方を
そのままなぞって生きているだけ。

そりゃあ、まぁ子供の頃から親や学校の先生から
色々と型にはまった教育を受けているわけですから
思考停止の生き方という選択は致し方ないことです。

ただ、ケースに当てはめる教育っていうのは
昔はすごく効率が良くて意味の大きなことだったんです。

今週から三谷幸喜脚本の『真田丸』が始まりましたが、
戦国時代のようなバリバリな封建制度の社会では
殿様のいうことは家臣にとっては絶対だったので
自分の頭で生き方を考えるなんていう選択肢もありませんでした。

時として戦局に応じた謀反はありましたけどね。

そして、その家臣は自分が支配している土地の領民や
家族に対してお殿さまの思想を元にした教育を施します。

皆が同じ思想を持った強固な軍団を築かなければ
すぐに隣国に戦争で滅ぼされてしまいますから。

なので、基本的に上から下へと人生プランのお達しが届き
基本的にはそれに沿うことが人生の唯一解だったわけです。

その仕組みは江戸時代になっても『藩』という形で維持されて
明治維新後に『藩』が『県』になっても
『家』の持つ意味が大きな時代においては
両親(特にお父さん)の声は絶対視されていました。

また、急速なスピードで強い国家を作り上げるために
学校を急ピッチで作りまくり『教育制度』の統一化は進みます。

(歴史の授業みたいになってきましたが、
もう少しだけお付き合いください!笑)

江戸時代までは『藩』という形で地方が自由に政治を行っていたのが、
急に日本という一つのチームとして欧米に対抗しないといけなくなり
国民を理想的な歯車とするために型にはめなきゃいけなかった。

そこに自主性とか独創性とか自立性とか
そういうものが介入する余地はなかったんですね。

さて、話は現代に戻りまして。

今はもうそういう時代ではないですが、
普通に企業や役所で活躍する人を育てたいと
国家の意志が働くのは自然なことです。

国としては日本企業に頑張ってもらいたいわけだし、
会社勤めの人が増えれば税金の管理もやりやすいですから。

だから僕のように組織に縛られずに自由に生きるぜ!的な
ライフスタイルを思考する人を育てたくないんです(笑)

というわけで、

幅広い意味での今の日本の教育は
『型にはめる』ことが基本になっていますが、
昔よりも個人の活動範囲は物質的にも精神的にも広がりました。

特にネットのおかげで個人が受け取れる情報量は格段に増えたし
個人で活躍できるフィールドも増えています。

というか自分で舞台を整えるハードルが極限まで下がっている。

その結果、

気づくか気づかないかという点での個人差はあれど
個々人の生き方における選択肢は間違いなく増えたわけです。

もちろん、僕のように組織から離れて
自分でビジネスを創りだすことだけが正解ではないし
常識的な生き方で幸せに一生を終える人もたくさんいます。

しかし、それ以上に多いのは
自分の本当の幸せとは何か考えることすら放棄してしまっている人。

自分自身の幸福まで他人の尺度がないと決められないって
普通に純粋な視点で考えればかなり重症ですよね。

でも残念ながら、そういう人は本当に多いわけです。

他人の尺度で自分のやりたいことや幸福を判断しても
本当の意味での充足感を感じることはできないので
『なんかパッとしないな…』という思いばかり募っていく。

あるいは、

周囲の期待を自分の理想形だと錯覚してしまい、
いつの日か自我を感じた時に苦しみ
そして絶望的な気持ちになって塞ぎこんでいく。

せっかくこの世に生まれてきて
今まで頑張って生きてきたのに
こんな結末じゃあまりにも報われないですよ。

確かに昔は他者に考えを委ねていてもよかった。
なぜなら、そうしないと生きていけない可能性が高かったから。

でも、今の時代は違います。

自分で頭を使って物事を考えて
楽しく好き勝手やっても普通に生きていける。

その方がHAPPYになれる。

多くの情報に触れることができるようになったことで
多くの人たちがそのことに気づき始めています。

自分は誰かの定めた幸せを目指していて
それが自分の本意ではないことを勘付けるようになっています。

ただ、そのことに気づいたからといって、
皆が自分にとって本当の幸せを選べるようになったかというと
絶対にそんなことはないですよね?

そもそも、僕らは他者の思考に依存することに
遺伝子レベルで慣れきってしまっているわけです。

ここで僕が『本当に好きな生き方をしましょう!』と鼓舞しても
本当に好きな生き方とは何かというステップで躓く人は多いはず。

『好きなように生きる』ことを具体的にイメージすることも
現在地から実現までの道筋を丁寧に立てていくことも
その想像にリアリティを感じることも非常に難しいはずです。

でも、それはしかたのないことで
やっぱり僕らって誰かの思考に依存からは離れられなくて
本当に自由意志で何かを決めることって超難しいんですよ。

だから、僕はこう思うんです。

人生のモデルケースを変えてみませんか?と。

良い学校に通い良い会社に入り…という思考に馴染めなかったのなら
今度は違う生き方をしている人をモデルケースにすればいい。

その時は今までのように『みんながやっているから』という基準ではなくて
自分自身が感じるワクワク感を基準に考えればいいんです。

できることなら自分もこんな風に生きてみたい!

かけがえのない人生のロールモデルを
そう思える人に変えていきましょう。

『誰にも依存することなく自由に生きろ!』と言われても
ハードルは高く感じられてしまうかもしれませんが
こっちなら多少は現実味があるのではないでしょうか。

たまに『私は誰に対しても憧れなど持ちません』という人もいますが、
それだと目標に対するリアリティが濃くならないんですよ。

自分の未来にリアルを感じられないと
やっぱりそこに到達する困難さは増してしまいます。

人は自分が思い描く場所にしか到達できないのですから。

よく『直感を信じて』とか『あなたの好きなように生きろ』とか
そういったお言葉をくださる起業家の方は多いですが、
そこに難しさを感じる人も多いのが現実です。

そういう時こそ、全てを取り払うのではなくて
まずはモデルケースを変えることからはじめてみましょう。

依存や思考停止でも完全なる自由を見据えるでもなく
参考にするモデルケースを変更する。

まずは『変更』という点に主体性を発揮していくことですね。

そして、

あなたが憧れるロールモデルの生き方を
徹底的に学び自分の生き方に投影する。

そうすることによって視野が格段に拡がりますし
今まで見えてこなかったものが見えるようになります。

恐らくあなたが憧れるような人は
主体性を持って人生を楽しむことができている人なので
その生き方を学ぶことで自主性の感覚を磨くこともできるはず。

型にはまらず生きることが難しいのなら、
まずは理想的な生き方をしている人を探してみて
それをロールモデルとして主体的に選ぶこと。

今の自分を変えたいけど、
どうしたらいいのかわからない!

そんな時は憧れのライフスタイルを実現してる人を探し
その人の生き方を徹底的に学んでみるといいですよ。

 

P.S.

歴史的な偉人から学べることは本当に多いです。

昨年の大河ドラマは酷評されていましたが、
高杉晋作の生き方は共感する部分ばかり。

安定した現状を捨ててでも
何か事を成し遂げたい人に憧れるんでしょうね。

安定とはあくまで環境の問題であって
個人としての自分の問題ではない。

それなら『どんな自分で生きたいか』を追求することは
この上ない幸せないんじゃないかなと思います。


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